ゲームの歴史の証人とは
王様の決断ゲームブック #NintendoSwitch pic.twitter.com/YlTje3jESx
— 消音 (@yukitec) 2018年9月24日
パーフェクトヘラクレス出来た~ pic.twitter.com/EevGYSxRqA
— 消音 (@yukitec) 2018年9月28日
イーラクリア #ゼノブレイド2 #NintendoSwitch pic.twitter.com/zD00ODGegK
— 消音 (@yukitec) 2018年9月30日
「無かったことにしてはならない」という台詞は最近シュタゲゼロで聞いたんだけれど、まあゲーム批評界隈も賑やかということで。昔はやっぱりゲーム体験の記録をするのが大変だったけれど、今だとスマホでガチャ爆死のワンボタンでスクショできるし、PS4やSwitchでもワンボタンで簡単に動画が撮れるので、それをSNSでワンボタンでアップロードすれば、まあ歴史の一証人になれるのでは……というスタンスはある
まあそれなりに気になるゲーム批評や論文があったから、うp主のSNS見に行ったらまるでゲームのスクショも動画も無かったでござる。エアプか???、みたいな感じなれるぐらいには、最近のSNS共有の手軽さを感じている。
しかしそれですらゲームの共通体験というものは困難を含んでいるのは、ゲーム自体のシステムに乱数というランダム性があるからじゃないのかなとも思っている。アニメや小説や漫画は、少なくともゲームよりかは圧倒的に乱数に左右されないコンテンツだけれども、ゲーム体験に関しては乱数の数だけプレイヤー体験があり多様性という点では根本的に違ってくるのでは、とか思ったり。
個人的なゲームの証人とはまた違うけれど、最近はゲーム開発者のコメントなどがSNSでどんどん飛んでくるの本当に嬉しいよな